1983年北イタリアでバカンスを過ごす少年の、年上の青年とのヴィタ・セクスアリス。
夏の地中海沿岸は緑あふれて爽やかで、少年(エリオ)は黒髪巻き毛の美少年。大学教授の父親は古代ギリシャ文化を研究していて、母親は先祖の屋敷を相続したイタリア貴族の末裔らしく、少年自身もピアノを弾いたり自分で作曲したりするインテリ家族。その屋敷に、父親の研究室の大学院生であるアメリカ人の美青年が教授の研究の手伝いと自分の修論執筆のために滞在する。少年は、自分の気持ちを持て余して、青年にわざと嫌味を言ってみたり、青年が友達の少女と仲良くするのに嫉妬したり、と、まあ、もう、初恋のドキドキが満載です。
2人ともユダヤ教徒なので同性愛はタブーであるものの、少年の家族はゆるいけれど青年の家族は信仰に厳格で、押せ押せの少年に対して常に青年は慎重な態度を取るのも、ハラハラした感じをいや増していてよいです。
結局2人は気持ちを打ち明けあい、ついには結ばれるのですが2人とも美しいのでまるでマンガのよう……。それも、70〜80年代の、欧米への憧れがにじんだ少女マンガのようで、自分が若いころにドキドキしたのと同じ懐かしい気持ちで没頭しました。

(以下ネタバレ)
青年は夏の終わりにアメリカに帰り、冬になり少年の元に電話で「来春結婚する」と告げます。
うわあ、そういうオチか!
青年は、「つかず離れずという関係だった女性と……」などと言っていましたが、本当はバカンス前からある程度結婚を意識したお付き合いをしていて、バカンスでアバンチュールしたけれど少年との将来はまったく考えていなかったか、もしくは信仰に厳格な親から離れて本来の自分のセクシャリティが解放されたけれど、親元に戻ったらやっぱり無理だ、と思い知らされて諦めた、という展開?などとすっかり青年ワルモノ説に傾いていました。
ですが、見終わってから色々映画評を読むと、あれはつまり、古代ギリシャの青年が少年を愛しつつ教養を与える少年愛のしきたりを描いたものだ、という解説を聞いて、なるほどな、と納得しました。

(ネタバレ以上)

それにしてもアメリカのゲイは黒髪巻き毛のラテン系美少年がお好き、というパターンをこの映画もしっかり踏襲しているのですが、もしかして、特に北米というプロテスタントやユダヤ教といった同性愛(+ペドフィリア)に厳しいお国柄では、古代ギリシャの少年愛という、さらに古い伝統を言い訳にしないと創作として受け入れられないのではないかしら、と思いつきました。どうだろう?
去年いくつか見た映画で印象に残り、ここに記録を書いておこうと下書きを書き始めて途中で止まっているものが何本かあり、いつか書こうとは思っているのですが、とりあえず一番最近みたこの映画について。

伝説の戦士バーフバリの壮絶な愛と復讐の物語を描いてインド映画史上歴代最高興収を達成し、日本でもロングランヒットを記録したアクション「バーフバリ 伝説誕生」の完結編となる第2作。蛮族カーラケーヤとの戦争に勝利してマヒシュマティ王国の王に指名されたアマレンドラ・バーフバリは、クンタラ王国の王女デーバセーナと恋に落ちる。しかし王位継承争いに敗れた従兄弟バラーラデーバは邪悪な策略で彼の王座を奪い、バーフバリだけでなく生まれたばかりの息子の命まで奪おうとする。25年後、自らが伝説の王バーフバリの息子であることを知った若者シブドゥは、マヘンドラ・バーフバリとして暴君バラーラデーバに戦いを挑む。監督・脚本のS・S・ラージャマウリや主演のプラバースをはじめ、前作のスタッフやキャストが再結集。(映画.comより)


昨年末くらいから、ツイッターでちょくちょくこの映画を熱く薦めるツイートが流れてきていた。予告編は確かにすごい勢いのある絵面。興味を引かれたものの、これまでいわゆるボリウッド映画は見たことがなかったし(この映画はタミル語圏のボリウッドではなくテルグ語圏で制作されたらしいけれど知らなかった)、シリーズの後編だと聞いて、見に行くかどうか決めかねていた。
けれど、日を追うにつれてハマる人々が増えていく様子を見て、やはりこれは見に行かないと、という気になった。前作の内容は冒頭10分であらすじが入るから見ていなくてOK、と聞いたのも後押しした。
というわけで観てきたわけですが、もう何もかもが過剰で観ていてスカッとしました(笑)。
いわゆる「白髪三千丈」を映像で見せてくれる映画。もしくはジャンプマンガを3Dで見ている気分。画面がいちいちドラマチックで気分があがる。

事前にネットで見かけた映画評で読んでナルホドと思ったのですが、語り口は神話。とくに2は1の主人公の親世代の物語の回想なので余計に「語られる物語」的なのかもしれない。息子と父を同じ俳優が演じるのですが、この主人公はシヴァ神になぞらえられていて、様々な姿に変化して現れるけれど同じ神性である、というのはよく理解できる。
貴種流離譚であり勧善懲悪であり親の因果が子に報いたり、神話や物語でしばしば語られるモチーフがふんだんに盛り込まれていて、そこも安心して見ていられる要因かしら。
一方で国母の権力が強いのは母系社会の名残り?とか、主筋に忠実な奴隷身分の部下にみられるカースト制といった背景は知らない文化を感じて新鮮。

などなど、いろいろ語りたいことがあったのですが、観てから1か月以上経っているので断片的な感想をメモランダムに書き散らしてしまいましたが……。

まあ、一言でまとめれば「バーフバリ! バーフバリ!!!」って心で叫んでる(笑)。
ご無沙汰しておりました!
パスワード再発行申請メールの返信が受信できたので、無事に再開できるようになりました。行方不明になるんじゃないかと気にされていた方がいらっしゃいましたら、心よりのお詫びとお礼を。

実はこの映画、CATVの放送をしばらく前に録画予約をしていたものの、どんな映画だったかうっかり失念しており(スペインの映画だから予約した、ということしか覚えていたなかった)、新鮮な気持ちで再生したのですが(笑)、始まってから10分近く、BGMもタイトルもなくスペインの闘牛シーンが続くので、もしかして闘牛ドキュメンタリだったかしら、と思い始めたころに、ようやく主人公が登場してセリフも出てきました。
ことほどさように、ドキュメンタリータッチの、闘牛士の一生を描いた映画です。

青年ミゲルは貧しい村を嫌って都会に職を求めるが、労務者生活に疲れ果て闘牛士養成所の門を叩く。厳しい訓練にも耐え、地方巡業で見事な闘いぶりを見せ認められ、晴れの舞台に登場。人気の高まりと共に収入も増すが、それに比例してきつくなる日程に心も体も酷使され、彼は自分の望むのとは違う向きに歩み始めていると漠然と気付く。群がる女性たちも慰めにはならない。しかし、なおも命懸けの興行は続く…。


1967年といえばスペインはまだフランコ政権の時代。「ミツバチのささやき」よりさらに数年前に制作されているので、この映画もそういう、暗に政権批判(上のあらすじに依れば、貧困層の生活の苦しさを告発)するような映画かと勝手に予想していたのですが、どうやらそれとも違うようです。

個人的に(某スペインの昼ドラにはまっていたせいで/笑)スペインには関心が高いのですが、闘牛文化にはあまり興味を引かれず、とおりいっぺんのことしか知りませんでした。(えすとえむ「ゴロンドリーナ」も読んでいない/汗)
この映画では、闘牛という興行についてとても詳しく描かれているので、そういう面からもとても興味深い内容でした。
タイトルになっている「真実の瞬間(La hora de la verdad)」とは、闘牛への止めのひと刺しを指すのだそうですが、止めの前に牛を弱らせるためにいくつも刺す剣と、止めの剣は形が違って、止めの剣は(ヨーロッパの剣は普通そうですが)十字架の形になっていて、それを牛の肩甲骨の間に上から真っ直ぐに突き立てる。その映像を見たとき、ああ、もしかして闘牛って、キリスト教の宗教儀式的な要素が少なからずあるのかしら、と得心したのでした。
そういえば、映画の冒頭も最後も教会のシーンだし。

(以下ネタバレのため白字で伏字。こんな古い映画でネタバレもないとは思いますが……)

そう考えると、主人公ミゲルの人生が、キリストの生涯となんとなく重なるんです。特に最後、牛に突かれて闘牛場で倒れ、人々に抱えられて裏へ連れていかれる姿とか。最後に一瞬映るマリア像はピエタだし。

(ネタバレ以上)

そういう意味でもいろんな意味で見られる、いい映画でした。
後から調べたら、監督はドキュメンタリー映画出身らしい。なるほど。
さらに、公開時キネ旬ベストテン入りしているそうです(キネ旬ベストがどういう傾向なのかとか、よく知りませんが/苦笑)

というわけで思わぬ拾い物でとても楽しめたし、いろんな方にお勧めしたいのですが、まあ、時代が時代なので闘牛の牛が流す血とか、どんどん殺されるところが余すところなく映るので(当然本当に殺してるだろうし)、リアルでいいなぁと思うと同時に、かわいそうだというのは否めない。
そういうの、平気な方はぜひ。

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