まずは、今回の地震で被害にあった皆様にお見舞い申し上げます。

私は麹町(千代田区)の職場(ビルの7階)で仕事をしていたときに地震に遭いました。
揺れ始めたときにはしばらく様子見をしていたけれど、
どんどん揺れが大きくなるので一人が机の下に隠れたのを機に机の下に。
机からは山脈を作っていた書類が雪崩れる(汗)。
机の下で、オフィスサンダルから履いてきたブーツに履き替え、
支給されていた災害袋に貴重品や携帯電話やマスク(<これ重要)を入れつつ待機。
揺れが収まったところで避難の放送が入ったので、非常階段から下に下りた。

外で待機していると、防災センターの人が、それ以降の勤務免除と、
30分待ってから順次荷物を取りに戻るよう指示。
が、第1陣がビルに入るか入らないかというタイミングで再び大きな揺れ。
多分こちらが茨城沖の地震。
外から見ると、10階建ての職場のビル全体が揺れているのが分かった。
カーテンウォールのガラスもたわんでいた。
8階以上のフロアではキャビネットも倒れたらしい。

ようやく余震が治まってからオフィスに戻る。ネットで地震情報を確認してから
PCを落とし、必要なものをバッグに入れて(災害袋の中身(災害帰宅マップ含)、
デスクで使っているティッシュ(花粉症だから)、備蓄お菓子等)、
同じ課で隣り駅に住んでいる男性と、同じ方向に帰る他部署の人たち計6人で
17時に職場を出発。
職場に残る人も多かったけれど、大部分は帰っていた。
以下、歩きながら書いたメモに一部補足。

17:00 会社(麹町)発
 靖国通り沿いを東へ。そのまま14号線に入る。
 実家へは電話が通じない。霞ヶ関に勤めている姉の携帯とつながり、
 実家と姉の家族の無事を確認。
17:30 九段下
 麹町消防署では、署員に向けて市原のコンビナートへ向かうよう放送が入っていた。
 死亡者の出た九段会館前に人だかりがしていた。←事故があったことは知らなかった
 小川町でビル壁落ちてた。
 スポーツ用品店でスニーカー安売りしてた。
18:00 淡路町
18:30 隅田川
19:00 錦糸町
19:20 錦糸町の飲み屋で休憩
 やっと実家に電話が繋がる。出発前に送っていた無事を知らせるメールは読めていた模様。
 ここから、北へ向かう2人と東へ向かう4人に分かれる。
21:15 歩き始め
 自転車店が深夜営業していた。かなり売れたらしい。
21:30 亀戸
 帰宅グループでたまたま交通情報をチェックした人が、都営新宿線再開情報入手。
 たまたま目の前にあった交番で最寄の新宿線の駅を尋ねると、
 ちょうどそこの角を曲がって徒歩10分ほどで東大島駅に着くと聞く。
22:20 東大島
22:40ごろ電車着
 電車はすし詰め。時速25km以下の徐行運転。
23:15 本八幡(終点)着。ここからまた歩き始める。
23:45 下総中山
 クリーニング店の壁がごそっと(1.5m×2mくらい)落ちてた。
 道路のひびから水が湧き出ていた。
 かなり脚に来ている。
23:55 本中山公民館で休憩
0:15 出発
0:30 1人が別れる
1:15 帰宅。さらに遠方に住んでいる2人に寄って休んでもらう。
 ガスが点かない。→初めて復旧ボタンを押した
4:00 なけなしの布団を総動員して2人を寝かせる。
7:00 起きる。
 週末なのでほとんど食糧はないものの、ありもののキャベツとベーコンとしめじの
 コンソメスープと、卵焼きと、朝から開店しているベーカリーで買ってきたパンで朝ごはん。
10:00 電車が動き始めたので、泊まっていた2人が帰宅。
 駅まで送りがてら、物流が滞ると食糧が値上がりするかも,と思って
 駅前で1週間の食糧を買出しして帰る。
 (いつも週末に1週間分の食糧を買い込んでいるので通常の行動です。念のため)

職場から自宅まで、直線距離で約20km。
途中で電車に乗れたのでよかったが、5時間半歩いた。
知人と一緒に歩けたことと、
出発するときに「錦糸町で休憩入れてご飯を食べよう」
そこから出発するときには「江戸川を越えて千葉県に入ればタクシー拾えるかも」
と、2~3時間先の目標を順次設定して歩いたことで
歩き続ける元気が出たかも。
あ、あと金曜はカジュアル・フライデーなので、Gパンとヒールの太いショートブーツだったので
動きやすかった、というのもあるかも。

人はみんな黙々と歩いていた。
おかしな言動をする人も、我先に、という行動をする人もいなかった。
14号線はずーっと渋滞していたけれど、無理な割り込みをする車も
クラクションを鳴らす車もなかった。

歩いている間心配だったのは、愛魚のベタの水槽がキッチンカウンターから
落ちて割れていないか、ということ。
ベタの命は諦めるとしても、水槽に入れているヒーターが露出したままだと
火事になる恐れがある。
でも、家の中は意外なほど無事だった。
水槽はもちろん、棚に飾っていた陶器の置物も、壁側にもたれるように倒れていて
壊れなかったし。
作り付けの食器棚にはロックが付いていたので食器はすべて無事。
引出キャビネットが全部飛び出していたのは驚いたけど(笑)。
でも、ベタ水槽に入れている浮き草が水面より7センチくらい上のガラス面に
張り付いていたので、それくらいは揺れたんだろう。

土曜は落ち着かないままニュースを見聞きしつつ,10時に就寝。
翌朝は疲れが取れずにだらだら過ごしてしまったけれど、
以前からお友だちとご飯を食べる約束があって
「こういうときこそ、おいしいものを食べてお友だちとおしゃべりして気持ちを立て直そう!」
と思って行ってきました、ジビエのお店。
肉食ったー、酒飲んだー。

で、月曜。
首都圏各線が計画停電の影響で間引き運転とは聞いていたけれど、
ここまで乗れないとは!!
3線利用できる駅なのだけれど、そのうち1本は東京へ行かない路線とはいえ
1本(JR)は全休、おかげで私鉄は入場規制していて長蛇の列。
携帯電話での情報収集に限界を感じて、いったん帰宅してPCで情報収集したところ、
うちから20分くらい歩いたところにある別路線が動いているらしいことを発見。
カイシャからカジュアルウェアでの出勤も可、との連絡があったので
Gパンとスニーカーに履き替えて駅に向かったところ、ガラ空きで
のんびり出勤できました。

が、問題は帰宅時。
残業せずに早めに退勤したため、自宅のある駅から3つ先の駅まではスムーズに
帰れたのに、そこからあと3駅分が遠かった(涙)。
入場規制で1時間待ち。ホームに入ってからも電車を待ち、駅ごとに時間調整で
止まるのを待ち、結局職場を出てから3時間かけて帰宅しました。
(普通なら1時間ちょっとで帰れる)

明日はどうなるか分かりませんが、仕事を持ち帰ったので
自宅勤務にしたいなぁ……。

コメント

天照大神
2011年3月30日9:37

大変でしたね。
これは私にとって貴重な資料です。
震災当日、たまたま家にいたからよかったのですが、そうじゃなかったらと思うと……。
夜霧のネオンサインさんよりももっと悲惨な目に遭っていたかも!
この記録を参考に対策を立てねば!

夜霧のネオンサイン
2011年4月1日22:04

ありがとうございます!
私も自分の資料にと、だいたい自分がどれほど歩けるものかと小まめに記録をしました。
よく、東京に勤めていて帰宅難民になるとか、一度職場から家まで歩いて帰ってみるといいとか
言われてましたし、職場では帰宅マップも配られていたし。

でも、後から「本当に東京直下型の地震が来たら、動かないほうがいい」とも
聞きました。道が壊れてたらにっちもさっちも行かなくなるから、と。
難しいですね~。

そうそう。
今年は騙されませんでしたヨ♪<毎年騙されてた人
……やっぱり結婚ネタは焦り方が違うのかも(大笑)。

天照大神
2011年4月3日0:27

いや、もうね。みんな、「どうせ結婚なんかしない」と思ってるんじゃないかと思って。(笑)

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