マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して
2006年3月22日 映画鑑賞記録第2紀(05.12〜)今日は有休を取って、なかなか見にいけずにいた映画を3本ハシゴすることにしました。
なぜそんな無謀なことを思いついたのか、いまとなっては定かではありませんが(汗)、全部渋谷だったこともあって、なかなか効率的に回ることができました。
世界的に著名な建築家ルイス・カーン。1975年にフィラデルフィア駅で心臓発作を起こして73歳で死亡した彼は、本妻の他に二人の妻をもち、それぞれに子どもをもうけていた。たった一人の息子であり、いちばん年下のナサニエルが、父の死後25年を経て、その業績を訪ね、父とはどういう人間だったのかを追うドキュメンタリ。
実はルイス・カーンという建築家の名前は知らなかったのですが、冒頭でFLライトやル・コルビジェらと比較されているので、おおよその位置付けがわかりました。(実際にはもう少し後の時代、戦後に活躍した建築家のようですが)
ナサニエル・カーンは婚外子であり、11歳で父と死に別れているのであまり記憶がない。そんな彼が、偉大な建築家であると同時に家庭人としてはルーズだった父親のことを明らかにしていくのですが、彼を英雄のように語る同業の建築家たちや、三人の妻と二人の娘たちの証言、そして残されている本人の講演映像などを積み重ねても、この偉人を明らかにすることはできない。
見ているほうも、なかなか見えてこない正体にだんだん注意力が散漫になるのですが(汗)、彼が最後に手懸け、完成を見ずに死んだ、彼の最大の作品・バングラデシュ国会議事堂で、バングラデシュの建築家の証言が、このユダヤ人建築家の人となりをきゅっと総括し、また最後のナサニエルの一言が、彼がこのドキュメンタリを制作するに至った真の理由を明らかにしている。
また、なんといってもルイス・カーンの作品の力強さがカーンの理想を顕現しているのだけれど、それをうつくしい映像で見せてもらえて本当にうれしい。
中盤をもっとまとめるやり方もあったろうし、もともとテレビ映画用に作成されたためか、画面比率が4:3だったのが残念だけれど、最後にじーんとさせるいいドキュメンタリだと思います。
父子関係にツボがある方にはお薦め。
なぜそんな無謀なことを思いついたのか、いまとなっては定かではありませんが(汗)、全部渋谷だったこともあって、なかなか効率的に回ることができました。
世界的に著名な建築家ルイス・カーン。1975年にフィラデルフィア駅で心臓発作を起こして73歳で死亡した彼は、本妻の他に二人の妻をもち、それぞれに子どもをもうけていた。たった一人の息子であり、いちばん年下のナサニエルが、父の死後25年を経て、その業績を訪ね、父とはどういう人間だったのかを追うドキュメンタリ。
実はルイス・カーンという建築家の名前は知らなかったのですが、冒頭でFLライトやル・コルビジェらと比較されているので、おおよその位置付けがわかりました。(実際にはもう少し後の時代、戦後に活躍した建築家のようですが)
ナサニエル・カーンは婚外子であり、11歳で父と死に別れているのであまり記憶がない。そんな彼が、偉大な建築家であると同時に家庭人としてはルーズだった父親のことを明らかにしていくのですが、彼を英雄のように語る同業の建築家たちや、三人の妻と二人の娘たちの証言、そして残されている本人の講演映像などを積み重ねても、この偉人を明らかにすることはできない。
見ているほうも、なかなか見えてこない正体にだんだん注意力が散漫になるのですが(汗)、彼が最後に手懸け、完成を見ずに死んだ、彼の最大の作品・バングラデシュ国会議事堂で、バングラデシュの建築家の証言が、このユダヤ人建築家の人となりをきゅっと総括し、また最後のナサニエルの一言が、彼がこのドキュメンタリを制作するに至った真の理由を明らかにしている。
また、なんといってもルイス・カーンの作品の力強さがカーンの理想を顕現しているのだけれど、それをうつくしい映像で見せてもらえて本当にうれしい。
中盤をもっとまとめるやり方もあったろうし、もともとテレビ映画用に作成されたためか、画面比率が4:3だったのが残念だけれど、最後にじーんとさせるいいドキュメンタリだと思います。
父子関係にツボがある方にはお薦め。
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