株式会社の誕生から、政治システムを超えてグローバル化している企業の正体を描き、現在の企業を一人の人格として精神分析を行うと完璧な“サイコパス(人格障害)”であるという診断結果のもと、すべては利益のために働く機関としての企業の、様々な症例を分析します。
マイケル・ムーア監督、ノーム・チョムスキーMIT教授を始めとする総勢40人の証言や発言を基に構成された『ザ・コーポレーション』は、グローバル化された資本主義社会を生き抜くために必見の“サバイバル・シネマ”です。


ドキュメンタリのプチ・マイブームで見てきました。
レディースデイの、仕事が終わってから見られる一番早い回を見たのですが、開映5分前まで観客はわたしだけ……。
これはもしや貸切?と期待したものの、最終的には7,8人になったようです。
映画の内容は、ものすごく情報量が多いし、考えさせられることも多くてまだ整理がついていません……。

ただ、「企業という法人を精神分析する」という着眼点はよいものの、企業という集合体のなかで、当てはまる点を拾い集めて「サイコパス」と診断するのはズルいのではないかしら。普通の人間を10人集めて同じ事をしたって、サイコパスと診断される可能性だってあり得るし。

それと、視点が基本的に「企業vs消費者」の対立構造であって、もちろん企業の経営者も個人としては善人だけど、ということも描いているものの、消費者だって企業を構成する要素だという視点が抜け落ちているように思うのだけれど。

とはいえ、企業は「持続可能な」システムに生まれ変わるべきだという主張はもっともだと思うし、ボリビアで、水道の民営化に反対した都市がデモを行って市民の手に水道経営を取り戻したエピソードはすごいと思うし。(同時に、日本は郵政民営化しちゃって本当によかったのか、あらためて疑問に思います。)
そして、最近の日本の企業による犯罪といえば耐震強度偽造疑惑ですが、そんなことも合わせていろいろ考えさせられました。

まあ、あまりに情報量が多くて途中意識が遠のいた部分がありましたが(汗)。

【追記】
(1)企業側・消費者側・活動家側さまざまな人のコメントがあったが、日本でも有名なM.ムーア監督はさておき、先日亡くなった経済学の“神様”ドラッカーや、コンピュータの父・チョムスキーなど、名前だけは聞いたことのある人たちがしゃべってるところが見られてちょっと感動。

(2)ムーア監督の、自分たちの作る告発映画が大企業によって配給される矛盾について語った言葉が印象的だった。
「大企業は、利益のためなら自分の首を絞める縄さえ売る。私は、その縄でありたい。」
なまじな覚悟じゃないよな、やっぱり。
そして、そんなムーア監督を見て、オウム問題のドキュメンタリ映画を撮っている森達也監督のことをふと思い出した。

(3)そしてそんな想いはやっぱり闘う言語学者チョムスキーにたどり着くんだよな。
民主主義って、闘い続けなければ簡単に倒れてしまうんだなぁ。

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