ラスト・サムライ考(3)
2003年12月14日(3)鳥居の下を騎乗で潜るなんて……。
最初に、捕虜となったオールグレンを勝元の村へ運び込むシーン。勝元率いる急襲隊は、鳥居を潜って村へ入ります。
もちろん鳥居が神社=神域の境を示すものだということは日本人にはジョーシキなので、神域へ入るのに騎乗のままというのは、神域を犯すことにならないのかと気になりました。
欧米でいったら教会のなかへ騎乗のまま進入することであって、それって戦争やクーデターなどの大きな異変を暗示することになるんじゃないのかしら、と。
でも、前の2項(ちゃぶ台と茶の湯)と違うのは、このシーンは渡辺謙・真田広之が登場していること。この二人は、映画作製に際して、かなり日本文化や時代考証に口を出したそうなので、この人達自身が演じているんだから、間違っていないのかな……。
っていうか、ムラ境に鳥居があること自体がヘンだろう!
では、通常ムラ境にはなにを置くのが民俗学的に間違っていないのか、と調べてみると。
旅研
http://www.tabiken.com/
>世界歴史事典データベース>村境
勧請縄や人形などの道切りや道祖神・地蔵によって、集落(ムラ)の内外を区別していたらしいんですが、やっぱり欧米人には、道祖神像みたって=村境と意識はできないだろうな……。というか、現代日本人だって勧請縄を見せられてもピンと来ないだろう(自分含め)。
おなじデータベースで鳥居を調べると、中国雲南省やタイ北部の村には、村落の入り口に鳥居のような門を立てる風習があるそうなので、ワールドワイドに集落の入り口というイメージを伝えるカットとしてはいい、の、かなぁ……?
追記。
鳥居についての詳しいサイトを発見。これからよく読んでみます。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwpa5176/
こちらのBBSの12月以降の書き込みに、ラスト・サムライの鳥居がどう間違っているかが書かれていますのでご参考まで。
まあ、細々と突っ込んでみましたが、もちろんこれらの描写が少々ヘンだったからといって、映画で表現したいテーマ性が揺らぐわけではないと思うので、単に言ってみたかっただけだと思って聞き流してくださいませ。
最初に、捕虜となったオールグレンを勝元の村へ運び込むシーン。勝元率いる急襲隊は、鳥居を潜って村へ入ります。
もちろん鳥居が神社=神域の境を示すものだということは日本人にはジョーシキなので、神域へ入るのに騎乗のままというのは、神域を犯すことにならないのかと気になりました。
欧米でいったら教会のなかへ騎乗のまま進入することであって、それって戦争やクーデターなどの大きな異変を暗示することになるんじゃないのかしら、と。
でも、前の2項(ちゃぶ台と茶の湯)と違うのは、このシーンは渡辺謙・真田広之が登場していること。この二人は、映画作製に際して、かなり日本文化や時代考証に口を出したそうなので、この人達自身が演じているんだから、間違っていないのかな……。
っていうか、ムラ境に鳥居があること自体がヘンだろう!
では、通常ムラ境にはなにを置くのが民俗学的に間違っていないのか、と調べてみると。
旅研
http://www.tabiken.com/
>世界歴史事典データベース>村境
勧請縄や人形などの道切りや道祖神・地蔵によって、集落(ムラ)の内外を区別していたらしいんですが、やっぱり欧米人には、道祖神像みたって=村境と意識はできないだろうな……。というか、現代日本人だって勧請縄を見せられてもピンと来ないだろう(自分含め)。
おなじデータベースで鳥居を調べると、中国雲南省やタイ北部の村には、村落の入り口に鳥居のような門を立てる風習があるそうなので、ワールドワイドに集落の入り口というイメージを伝えるカットとしてはいい、の、かなぁ……?
追記。
鳥居についての詳しいサイトを発見。これからよく読んでみます。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwpa5176/
こちらのBBSの12月以降の書き込みに、ラスト・サムライの鳥居がどう間違っているかが書かれていますのでご参考まで。
まあ、細々と突っ込んでみましたが、もちろんこれらの描写が少々ヘンだったからといって、映画で表現したいテーマ性が揺らぐわけではないと思うので、単に言ってみたかっただけだと思って聞き流してくださいませ。
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