ラスト・サムライ考(2)
2003年12月13日(2)縁側で茶の湯って、そりゃないよ。
これは、村の生活をいろいろ描写するシーンの中の、ホントに一瞬のカットだったので、縁側というか、濡れ縁の上で風炉(炭を入れた器を畳の上に置いて釜をかけて湯を沸かす道具。夏使う)を置いて茶を点てるなどというトンデモはっぷんな状況も、わざわざあげつらうのは申し訳ないんですが。
でも、武士道と茶道は切っても切れない縁というか。武士道を描きながら、茶道をあんなおざなりに描くのはいかがなものか。
勝元(渡辺謙)の最期のシーンで、「完璧だ(perfect)」と呟くんですが、これをみて、10年くらい前の映画「千利休 本覚坊遺文」(もしくは原作の井上靖「本覚坊遺文」)を思い出しました。わたしは映画しか見ていませんが、この中のテーマとなる禅問答で
“無”と書いた軸を掛けても、何もなくなりません。“死”と書いた軸の場合は、何もかもなくなる。“無”ではなくならん。“死”ではなくなる!(井上靖「本覚坊遺文」より)
というのがあって、その言葉を実践するように、千利休が秀吉から切腹を命じられて死ぬまでの話です。
つまり、「無」では完璧でなく、「死」によって完璧な無を体現するのだ、という意味かと思うのですが、そんなことも考え合わせると、日本情緒を盛り込むのにおざなりに茶の湯シーンを入れるくらいなら、いっそ勝元に一席設けさせるくらいしたってよかった、の、かな?
なーんて、かえって欧米人には分からなくなっちゃうかもしれないのでいいんですけど。
ちなみに、その後ちらっと調べたところに寄ると、ラスト・サムライの監督って、ハーバード大でライシャワー元駐日大使の日本文化についての講義を取っていたくらい日本について昔から勉強していた人らしいですね。
だったら、ちゃんとその辺も考え合わせた上でああしたんだろうな……。
これは、村の生活をいろいろ描写するシーンの中の、ホントに一瞬のカットだったので、縁側というか、濡れ縁の上で風炉(炭を入れた器を畳の上に置いて釜をかけて湯を沸かす道具。夏使う)を置いて茶を点てるなどというトンデモはっぷんな状況も、わざわざあげつらうのは申し訳ないんですが。
でも、武士道と茶道は切っても切れない縁というか。武士道を描きながら、茶道をあんなおざなりに描くのはいかがなものか。
勝元(渡辺謙)の最期のシーンで、「完璧だ(perfect)」と呟くんですが、これをみて、10年くらい前の映画「千利休 本覚坊遺文」(もしくは原作の井上靖「本覚坊遺文」)を思い出しました。わたしは映画しか見ていませんが、この中のテーマとなる禅問答で
“無”と書いた軸を掛けても、何もなくなりません。“死”と書いた軸の場合は、何もかもなくなる。“無”ではなくならん。“死”ではなくなる!(井上靖「本覚坊遺文」より)
というのがあって、その言葉を実践するように、千利休が秀吉から切腹を命じられて死ぬまでの話です。
つまり、「無」では完璧でなく、「死」によって完璧な無を体現するのだ、という意味かと思うのですが、そんなことも考え合わせると、日本情緒を盛り込むのにおざなりに茶の湯シーンを入れるくらいなら、いっそ勝元に一席設けさせるくらいしたってよかった、の、かな?
なーんて、かえって欧米人には分からなくなっちゃうかもしれないのでいいんですけど。
ちなみに、その後ちらっと調べたところに寄ると、ラスト・サムライの監督って、ハーバード大でライシャワー元駐日大使の日本文化についての講義を取っていたくらい日本について昔から勉強していた人らしいですね。
だったら、ちゃんとその辺も考え合わせた上でああしたんだろうな……。
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